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神戸地方裁判所 昭和57年(わ)891号 判決

主文

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、罰金額中金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、米国籍を有する外国人であるが、昭和五六年一一月九日、神戸市灘区神ノ木通三丁目六番一八号神戸市灘区役所において、同区長に対し、新規の外国人登録の申請をした際、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉に指紋の押捺をしなかつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して昭和五七年法律第七五号(外国人登録法の一部を改正する法律)附則七項により同法による改正前の外国人登録法一八条一項八号、一四条一項(三条一項)に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により罰金額中金二〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人にこれを負担させることとする。

(弁護人らの主張〈被告人の主張を含む。以下同じ。〉に対する判断)

第一  弁護人らの主張

弁護人らは、外国人登録法(以下外登法という。)一四条及び一八条一項八号の在留外国人に対し指紋押捺義務を定めた諸規定(以下指紋押捺制度という。)は、憲法一三条、一四条、一九条及び三一条に違反し、かつ市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約七号。以下国際人権規約B規約という。)七条及び二六条に違反する無効なものであり、また、指紋押捺を拒否した被告人の本件行為は正当な業務行為に当るから罪とならず、被告人は無罪であるとして、要約以下のように主張している。

一  指紋押捺制度の違憲性及び反国際人権規約性について

(一) 指紋押捺制度は、憲法一三条及び国際人権規約B規約七条に違反する。

1 指紋押捺制度は、外国人を犯罪者のごとく扱い、拭いがたい屈辱感や不快感を抱かせてその者の人格や名誉を著しく害するばかりか、その者のプライバシーに属する個人識別の最も有効な情報である指紋の提供を強制し、個人の尊厳と国民の私生活上の自由を規定した憲法一三条の保障する権利を侵害するものであり、これを維持すべき合理的根拠(立法事実)が全く存しないから、人権侵害として憲法一三条に違反し、かつ国際人権規約B規約七条にも違反し、無効である。

2 右指紋押捺制度の立法理由については、近年においては法務省の担当者が、「外国人登録令の時代には、二重登録などの不正登録あるいは登録証明書の偽変造が多く、写真のみでは防止が困難であつたことから、指紋を押させて人物の同一性識別の手段とした。」旨説明している。しかしながら、外国人登録令時代に不正行為が多発したのは戦後の混乱期のため、食糧配給を二重、三重に受給しようとして、二重登録、虚無人登録がなされることも多く、登録制度の運用もずさんなものであつたことに原因する現象で、その後の生活状況の好転に加えて、昭和二五年一月から三回に亘つて実施された一斉切替制度や居住地変更登録制度などの採用によつて、指紋押捺制度が実施された同三〇年までにほとんど見られなくなつていたのである。したがつて、指紋押捺制度の採用によつて不正行為が排除されたという歴史的事実はなく、その採用当時すでに不正行為の防止のための必要性はなかつた。また、仮に採用当時には必要であつたとしても、今日では、食糧配給の不正受給を目的とする二重登録や虚無人登録などが発生する要因がなくなつているうえ、登録手続の運用もかつてのようなルーズなものではなく、登録証明書の偽変造等を防止しうるだけの技術的進歩もみられるから、右の説明は合理的根拠を欠くに至つている。

3 そして、新規登録の場合は、それが入国であれ、日本での出生であれ、市区町村には、対照すべき指紋がそもそも存しないから、指紋押捺は登録申請人が登録申請書に記載されている人物と同一人であるか否かの認識には役立たない。確認申請(切替交付)の場合は、同一人性の確認は写真と申請書に記載された事項のチェックによつており、指紋の照合は行われていない。また、押捺の時期も同一人性を確認し、登録証明書を作成した後その交付の際になされており、指紋を押捺させて同一人性を確認してから交付することにはなつていない。法務省入国管理局作成の外国人登録事務取扱要領にも本人の同一人性確認の手段としては「写真等」とあるだけで、最も重要なはずの指紋はあげられておらず、市区町村の係員も指紋照合の技術的訓練を受けていないので指紋照合をすることは技術的にも不可能である。このように、外国人登録事務を直接取扱う市区町村では指紋は同一人性確認のためには全く用いられていないのが実情である。

4 法務省における運用の実態をみても、昭和四五年以降は、指紋原紙による換値分類(鑑識照合のために指紋を分類して番号に置き換える作業)を中止し、また、昭和四九年八月以降同五七年一〇月まで新規登録の場合を除いて指紋原紙への指紋押捺は省略され、法務省へ指紋原紙が送付されていなかつたため、新旧原紙の照合による同一人性の確認は大量切替を前提に考えると、昭和四六年から同六〇年までの一四年間にわたつてなされていなかつたものである。また、従来市区町村から法務省に回収された使用済原票には、昭和五二年八月の大量切替時の指紋までしかなく、昭和五五年八月大量切替時の指紋は新原票にあり、指紋原紙への押捺復活は昭和五七年一〇月一日からであるから、昭和五五年八月大量切替時の指紋は指紋原紙にもなく、使用済原票にもない状態である。次の大量切替時である昭和六〇年八月には指紋原紙に指紋が押捺されて法務省へ送付されるが、昭和五五年八月大量切替時の指紋は新原票が使用済となる昭和九〇年まで法務省に送られることはなく、その間、前後の指紋とは照合できない状態が続くのである。以上のように、法務省においても指紋による同一人性の確認などはなされていなかつたのが実情であり、このことは、同一人性の確認に指紋など必要としない証左である。

5 同一人性の確認のためには、運転免許証におけるようなビニール・コーティングなどを用いれば、写真の貼り替えも不能であつて、登録証明書の偽変造などを防止することができ、同一人性確認のために、「より制限的でない他の実行可能な手段」を選択する余地がある以上、指紋押捺を義務づけることは許されない。

6 外国人登録法の適用を受ける外国人の圧倒的多数は定住外国人、とりわけ在日韓国朝鮮人であり、その定住の程度は日本人と変りがない。日本人の居住関係や身分関係を明確にするための住民登録事務や戸籍事務が指紋押捺制度を採らなくてもその目的を達しているのに、同じ目的の外国人登録事務について指紋押捺制度を採用しなければその目的が達せられないとする合理的理由はない。

7 指紋押捺制度の存在理由については、立法当初の当局者の発言をみると、在日韓国朝鮮人を危険分子とみなし、これに対する治安対策として考えられたものであり、現実にも市区町村で保管中の登録原票は指紋を含め、警察官が自由に閲覧、謄写、写真撮影等を行い、外国人の動向調査のために利用されている。その根底には在留外国人(特に、在日韓国朝鮮人)を国家管理し、犯罪人として取り扱おうとする意図があるにとどまらず、のちに言及する同化政策の重要な一環として機能しているのである。

結局、制度の目的と運用の実態とは完全にかけ離れ、指紋押捺制度が同一人性の確認のために必要という説明は、指紋押捺制度の存在を合理的なものとして根拠づけることができないことは明らかである。

(二) 指紋押捺制度は憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反する。

外国人登録制度は外国人の居住関係及び身分関係を明確にするためのものであつて、日本国民の場合の住民登録や戸籍上の届出と同様の性質をもつているが、日本国民はこれらの届出について指紋の押捺を求められることはなく、外国人は指紋の押捺義務に関し日本国民と明らかに異なる取扱いを受けている。ことに、前記のように定住し、身分関係、居住関係の明らかな在日韓国朝鮮人について、日本国民と区別して指紋押捺義務を負わせるのは不当であり、指紋押捺制度は、合理的理由がないのに、外国人を日本国民と差別するものであつて、法の下の平等を規定した憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反し無効である。

(三) 指紋押捺制度は憲法一九条に違反する。

我が国は、戦前の日韓併合の時期以来、戦後に至つても一貫して我が国における少数民族である在日韓国朝鮮人に対し、その固有の文化伝統からの遮断、民族的価値の否定、日本的価値の注入を基本的な手段とし、その民族的特性や誇りを放棄させて日本人化を強いる同化政策を推進してきているので、在日韓国朝鮮人は、外国人という不安定な法的地位に置かれたうえ、強制退去措置の不安におののきながら、戦前の朝鮮支配以来日本人の意識の中に培われた朝鮮民族に対する偏見と、社会的経済的関係における各種の民族的差別の渦中でその生活を余儀なくされ、いわゆる同化のインパクト(同化を強いる圧力)を受け、その結果、心理的に自己の属する韓国朝鮮人集団を否定し、人格形成に必要な、自己の所属する集団との同一化による自己の統合性、一貫性までも見失うようになり易いのであるが、加えて指紋押捺制度により、一六歳(旧規定では一四歳)になれば、外登法により犯罪者的メイージをもつ指紋押捺を義務づけられることによつていわば同化にとどめを刺され、自らが日本国家から常に監視され犯罪者のごとく取り扱われるような劣等民族であるという意識を作りあげられ、生れもつた民族的なものを放棄するようにさせられる。以上のように、指紋押捺制度は、在日韓国朝鮮人に対し、個人の尊厳を害して内的精神活動の自由を奪い、朝鮮民族としての思想を捨てさせ、日本的価値感を押しつける同化政策を推進する役割を果しているのであり、国家権力によつて在日韓国朝鮮人の思想及び良心の自由を侵害するものとして憲法一九条に違反して無効である。

(四) 指紋押捺制度は憲法三一条に違反する。

憲法三一条は適正手続を保障しているが、それは刑罰法規が正義にかなつたものでなければならないことを意味する。外登法の規定する指紋押捺制度ことにその一四条は、在日韓国朝鮮人を外国人扱いすることによつて指紋押捺を強制するもので、正義に反し、憲法三一条に違反し、無効である。

二  指紋不押捺と正当行為について

指紋押捺を拒否した被告人の本件行為は、同化に苦しむ在日韓国朝鮮人、特にその少年少女達の「魂への配慮」としてなされた牧師の牧会活動に該当し、被告人の業務に属するものであり、目的において相当な範囲内にあることは明らかであるうえ、その手段方法は同化の圧力の中で決定的な役割を果す指紋の押捺を拒否することによつてその問題性を明らかにしようとしたものであり、自己の良心に従つた市民的不服従の一形態であつて、相当性の範囲内にあることは明らかである。そして、指紋押捺を拒否したことによつて、被告人の同一人性の確認に支障を生じることもなく、法益の侵害は皆無である。以上を総合して被告人の本件所為を判断するとき、それは全体として法秩序の理念に反するところがなく、正当行為として罪とならないというべきである。

第二  当裁判所の判断

一外登法上の指紋押捺制度と憲法及び国際人権規約について

(一) 外登法上の指紋押捺制度が憲法一三条及び国際人権規約B規約七条に違反するとの主張について検討するに

1  指紋は、万人不同、終生不変といわれる特性を有し、個人を識別するのに最も有効な身体の特徴であるが、国家機関に対する関係において、指紋を明らかにするかどうかはプライバシーの公開に当たり、個人の自由に属するものであり、加えて、指紋が犯罪捜査の手段としても用いられてきた沿革から、これを採取等されることについては相当な不快感を伴う場合があることをも考えると、人がみだりにその意に反して指紋を採取等されない自由は、個人の私生活上の自由として憲法上の保護の対象とすべきものであり、法律が個人の指紋押捺義務について規定するような場合には、その立法自体が個人の尊厳と国民の私生活上の自由を保障する憲法一三条に違反するところがないかどうか、更に、「品位を傷つける取扱い」を禁じた国際人権規約B規約七条に違反するところがないかどうかを慎重に検討しなければならない。

2  そして、外登法は、本邦に在留する外国人の公正な管理に資することを目的として、その居住関係及び身分関係を明確ならしめる外国人登録制度を定めるとともに、その一四条において、本邦に一年以上在留する一六歳以上(昭和五七年法律第七五号による改正前の外国人登録法一四条〈以下旧規定という〉では一四歳以上)の外国人は、新規登録(三条一項)、登録証明書の引替交付(六条一項)、再交付(七条一項)、確認(切替交付。一一条一項)の申請をする場合には、登録原票、登録証明書及び指紋原紙(旧規定では指紋原紙二葉)に指紋を押捺しなければならないと定めて、在留外国人に対し、指紋押捺義務を課したうえ、一八条一項八号において、右義務の違反につき、一年以下の懲役もしくは禁錮または二〇万円以下(一八条一項八号の旧規定では三万円以下)の罰金による処罰の規定を設けており、右指紋押捺制度は、在留外国人の指紋を採取等されない自由を制限するものである。

3  憲法による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解されるところ、憲法一三条が明らかにしているとおり、個人の有する自由も、公共の福祉との関係では無限定に保護されるものではなく、個人の指紋を採取等されない自由が、基本的人権の中でも、経済活動に関する自由などと異なる面をもつ私生活上の自由に属すると考えられることを前提としても、指紋押捺制度が公共の福祉に合致する立法目的を有し、右制度の内容がその立法目的を達成するために合理的かつ必要な手段であり、所定の押捺の方法が一般的に相当な範囲内にあるような場合には、右の制限は憲法上正当な理由と必要に基づくものであつて、公共の福祉を実現するためのやむを得ない制限として許容され、憲法一三条違反の問題を生じないものと解される。

4  そして、外登法の目的は、その一条において「本邦に在留する外国人の登録を実施することによつて外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もつて在留外国人の公正な管理に資すること」とされ、国が在留外国人に対する適正な行政を実現すべき責務を有することを考えると、この立法目的はもとより公共の福祉に合致する正当なものであるといわなければならない。更に、在留外国人について右のような事実関係を明確にするためには、その前提として、外国人個人につきその外国人を誤りなく特定して登録し、かつ現に在留する外国人個人と登録された人物とが同じであるか否かの同一人性の確認のため何らかの方法を講じておかなければならないことは当然であり、外登法が、新規登録、引替交付、再交付、確認申請の各場合について申請人の写真の提出を要するものとするほか、指紋押捺制度を設けているのは、右の個人の特定及び同一人性の確認を立法目的とするものと認められ、その目的自体に不当なものはないと考えられる。

5  進んで、右の目的を達成する手段としての指紋押捺制度の合理性及び必要性について検討すると、在留外国人に対する適正な管理処遇は、主権国家の権限であると共に、国際社会における我が国の責務であるから、国が各般の対外国人行政を適正に遂行するための前提として、右のように外国人個人を特定し、その同一人性を確認しうる手段を設けておくことは相当重要であり、ことに外国人について個人の識別を誤まれば、日本国民について個人の識別を誤つた場合に生じるのと同様の不都合のほか、場合によつては直ちに国際上の問題をも生じかねず、我が国の主権に属しない外国人の身分事項、居住関係、個人の特定や同一人性の把握については、日本国民に対する以上に慎重正確を期すべき点があるといわなければならない。にもかかわらず、外国人の場合、本国における身分事項等の記録は我が国の所管するところではなく、登録事項の正確性も客観的な担保に乏しいこともあり、外国人の特定や同一人性の確認には必ずしも身分事項や居住関係の登録だけで十分とはいえず、右の特定、確認の手段として有効確実な方法が必要とされるのである。このため、外登法は、万人不同、終生不変といわれる指紋の特性を利用して、これをその手段としたものであり、指紋押捺制度は、個人の特定、同一人性確認の立法目的に照らして、合理的なものであるということができる。

6 そして、外登法は、指紋押捺制度と同じく同一人性の識別に資する手段として、新規登録、引替交付、再交付、確認の申請に際し、申請人本人の写真を提出させる制度を採用しているのであるが、写真照合による個人の特定や同一人性の確認は、簡便迅速に行うことができる利点のある反面、人の容ぼう自体終生不変のものでなく、年齢や髪型等で変化し、近親者でなくても類似する場合があるほか、写真自体にも撮影条件等による異同があり、加えて、写真だけによる同一人性の判定では主観の介在する余地があつて確実性を欠くなどの難点があることを考えると、立法機関において、外登法における個人の特定と同一人性の確認を正確にして、前記の立法目的を十分達成することを意図する限りは、写真をもつて指紋に代替させることは困難というべきであるばかりでなく、現在のところ、前記のような特性をもつ指紋に代替しうる他の手段も見出せないのであつて、この意味において、指紋押捺制度の現状における必要性は否定し得ないところである。

7 更に、右制度の採用する指紋押捺方法の一般的な相当性について考えると、外登法及び外登法の指紋に関する政令(昭和三〇年政令二六号)四条によれば、指紋押捺制度においては、犯罪の被疑者について作成される犯歴票の十指指紋と異なり、原則として左ひとさし指の指紋のみの押捺を求めるものであつて、その押捺は五年(外登法旧規定では三年)に一回であり、またその押捺義務については、外登法一八条一項八号所定の刑罰による間接的な強制があるのにとどまり、刑事訴訟手続におけるような直接強制は許されておらず、指紋押捺に伴う前記の不快感が最少限にとどまるように配慮されていること、諸外国の立法例をみても、その要件は同一ではないが、在留外国人から指紋を徴する取扱いがみられることなどを考慮すると、外登法の指紋押捺制度の採用している方法は、前記立法目的を達成するための方法として一般的に相当な範囲内にあるものというべきである。

そうしてみると、指紋押捺制度による個人の指紋を採取等されない自由に対する制限は、正当な理由と必要に基づくものであつて、公共の福祉のため個人において受忍すべきものと考えられ、右制度は憲法一三条に違反するものではないということができる。

8 弁護人らの主張に関し、取調済みの証拠ことに法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指紋押捺制度について」と題する書面写によれば、法務省の担当者の意見として、弁護人ら引用の趣旨のものが発表されていることが認められるが、外国人登録令時代に頻発した不正登録等の原因が当時の混乱した社会情勢にあり、外登法制定当時はすでに減少していたとしても、指紋押捺制度の採用以前においてかかる不正行為が容易に行なわれたことは、登録外国人の特定や同一人性確認の手段方法にも不備があつたことを窺わせるものであり、これが指紋押捺制度採用の背景となつたことは十分推認できるところである。また、右不正登録等の減少については、食糧事情等の社会情勢の好転に負うところが大きく、指紋押捺制度施行後において、登録指紋の照合によつてどの程度不正行為の摘発が行われたかについては十分判明しないとしても、指紋押捺制度によつて採取指紋が市区町村や法務省に保管され、最終的には専門的な鑑識によつて同一人性の確認が確実にできること自体が不正行為に対する抑止的作用を果していることは容易に推認でき、指紋押捺制度の採用が不正行為の防止と無関係であるとはいえない。そして、二重登録等の不正登録が減少している今日においても、外国人登録の正確性の維持という立法目的を十分達成することを意図する限り、登録外国人の特定及び同一人性の確認の手段として、指紋押捺制度が必要であることに変りはないといわなければならない。

9 また、新規登録においては対照すべき既存の指紋が存在しないことは弁護人ら主張のとおりであるけれども、指紋の押捺が行なわれることにより、当該登録申請をした外国人の正確な特定がなされ、これがのちの同一人性の確認の前提となるのであつて、新規登録における指紋押捺の必要性を否定することはできない。

10 〈証拠〉によると、市区町村の担当窓口において登録証明書の確認(切替交付)などを行う際、その場で新たに押捺させた指紋を、保管中の登録原票などに押されている従前の指紋と照合して同一人性を確認する作業を行なつていない市区町村が多いことが窺われ、また、法務省においては、指紋押捺制度が実施された当初は市区町村から送付されてくる指紋原紙について換値分類作業が行なわれていたが、昭和四五年にはこれが中止され、昭和四九年八月から同五七年一〇月までの間については、法務省の昭和四九年四月二三日付通達で、「既に新規登録等の際に指紋押捺したことがある場合には指紋原紙に押すべき指紋を省略できる。」趣旨を示したため、大量切替のみについて考えると、昭和四六年から同六〇年までの一四年間にわたつて事実上指紋原紙に基づく同一人性確認作業のできる態勢が中断された状態にあつたこと、その後法務省は、昭和五七年一〇月一日から指紋原紙への指紋押捺を復活したが、今後の同一人性の確認作業については、指紋原紙が省略される前の昭和四六年切替時の指紋原紙と昭和五六年九月法務省に回収された使用済登録原票上の指紋の照合をする意向であること、また、指紋原紙復活は前記のとおり昭和五七年一〇月一日からであつたから、昭和五五年八月切替時の指紋は法務省の手元では指紋原紙にもなく、前記使用済原票にもない状態であり、昭和六〇年八月切替時には指紋原紙に指紋が押されて法務省に送られるが、昭和五五年八月切替時の指紋は昭和九〇年八月に新原票が使用済となつて法務省に送られてはじめて法務省の手元資料として照合が可能となることなど、ほぼこの点に関する弁護人らの前記主張に沿う事実も認められる。

しかしながら、右証拠によると、従来法務省においては、昭和五八年一〇月改正前の入国管理局長作成の外国人登録事務取扱要領に示した同一人性確認方法の例示としての「写真等」の意味に関連して、市区町村の担当者に対して、写真のほか指紋によつてもその同一人性を確認するように指導していたものであり、また、数個の指紋を比較対照してその異同を一応識別するには、必ずしも専門的な技術がなくても不可能でないうえに、市区町村において同一人性に疑問がある場合には、当該登録原票等を法務省へ送付してその確認を求めていたもので、法務省において、指紋原紙による同一人性の確認作業の態勢が中断状態にあつた時期にも、同一人性に問題の生じた事例については個別的に指紋照合をしていたことが認められ、法務省や市区町村において従来指紋による同一人性の確認を全く放棄していたものとは認めがたい。

11 更に、登録証明書に写真を貼付するに当つて、これを証明書自体に印刷し、あるいはビニールコーティングすれば、写真の貼りかえによる登録証明書の偽変造等の不正行為は困難となることは考えられるものの、元来写真は個人の特定及び同一人性の確認の手段として簡易迅速であるが、確実性が十分とはいえず、指紋押捺に比して、より制限的でない手段であるけれども、立法目的に照らしてこれに十分代替し得るとはいえないことは前記のとおりである。

12 在留外国人の中には、在日韓国朝鮮人の一部のように、日本名を称し、日本語を話し、日常ほとんど日本国民一般と同様の生活をするばかりでなく、本国よりも我が国に定着しているというべき者があることは公知の事実である。しかしながら、これらの我が国に定住している在日韓国朝鮮人といえども、その各本国の構成員であつて日本国民ではなく、我が国としては、右のような外国人をも公正に管理することが国の責務であることには変りがないから、立法機関において、外国人の特定及びその同一人性確認の立法目的を十分達成することを意図する限りは、これに対しても他の外国人一般と同様の制度を採用するのはやむを得ないことになる。

13 次に外登法の定める指紋押捺制度が、一般の犯罪捜査のために利用することを目的とするものでないことは、前記の同法一条の目的規定自体のほか、指紋登録及びその保管に関する一連の運用規定が右外登法所定の立法目的に沿つていることからも明らかであり、弁護人ら主張のように在日韓国朝鮮人への治安対策を企図して立法されたものとは認めがたいうえ、同証拠によると、捜査機関からの照会に対する回答として登録原票写などを例外的に送付するのは、密入国事犯や外国人登録証明書の不正入手事犯において外国人の同一人性を確認し、身分事項を確定するため特に指紋を必要とする場合だけで、その他の一般刑法犯罪などの捜査においては、たとえ法令に基づく照会であつても、指紋の部分を除いた登録原票写で回答する取扱いになつており、ことに、特定の指紋に基づいて、それが誰れの指紋であるかという照会に対しては、照会者や照会目的の如何を問わず回答されておらず、過去において、一部市区町村で、保管中の登録原票の押捺指紋欄を含め、警察官らが閲覧することを黙認した事例があることが窺われるが、これをもつて直ちに指紋押捺制度が在留外国人ことに在日韓国朝鮮人に対する行動調査等に利用することを目的とするものとは認めがたい。

14 次に、国際人権規約B規約七条中には、「何人も品位を傷つける取扱いを受けない。」旨の規定が存在し、指紋押捺制度は、外国人に対し、その指紋を採取等されない自由を制限するものであるうえ、指紋の押捺には、前記のとおり相当の不快感を伴う場合があることから、これが右条項に違反するものでないかを検討すべきである。しかしながら、右制度には前記のような合理性、必要性があること、また、先に同制度の指紋押捺方法の一般的な相当性に関して説示したその押捺方法、強制方法、立法例等によつて考えると、指紋押捺を義務付けることが、右規約の禁止する人の品位を傷つける取扱に当たるとまではいえないのであり、同制度が国際人権規約B規約七条に違反すると解するのは相当ではない。

してみると、指紋押捺制度が憲法一三条及び国際人権規約B規約七条に違反するとの主張は理由がない。

(二) 外登法上の指紋押捺制度が憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反するとの主張について検討するに、

1 憲法による基本的人権の保障は、前記のとおり、原則として我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解され、もし合理的な理由なく外国人に対し差別的取扱いをしたときは憲法一四条に違反するものであり、同時に国際人権規約B規約二六条にも違反するものと解される。

2 外登法は、先にみたとおり、本邦に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめるため、外国人登録制度において、外国人に対し指紋押捺義務を課しているが、日本国民の場合は、居住関係や身分関係を明らかにするための住民基本台帳法や戸籍法に基づく届出などにおいて、指紋押捺義務を課せられておらず、在留外国人は、指紋を採取等されない自由について、日本国民と異なる制限を受けていることになる。しかしながら、外登法一条の立法目的規定にもあらわれているように、在留外国人は国家がその責務として公正な管理を行うべき対象であつて、日本国民とは国家に対する立場が異なることは明らかであり、国の立法の内容は、在留外国人と日本国民とのこの立場の相違を無視したものではあり得ないから、対外国人の法律関係を規制する立法が、在留外国人に対し、その公正な管理に必要な範囲で、場合によつて日本国民に対する場合よりも制限的になることはやむを得ないところである。外登法の登録と、住民登録や戸籍上の届出とは、なるほど、その直接目的とするところが居住関係や身分関係の明確化である点で近似しているけれども、先にも触れたように、諸外国から出て日本国に在留する外国人については、外国人の周辺で同様に生活する多数の日本国民がいる中で、外国人個人を特定し、その同一人性を正確に把握することが、対外国人行政において、在留外国人に対し、公正な処遇をするために重要であり、日本国民の場合よりもその必要性が大きいものといわなければならない。このため、外登法は、日本国民の住民登録や戸籍上の届出の場合と異なり、在留外国人が外国人登録をする際には、その人物の特定や、その後の同一人性の確認資料として指紋押捺を求めることを規定したものと解せられ、それ自体、合理的な理由に基づいて異なる取扱いをするものであつて、日本国民が住民登録等において指紋の押捺を求められないことと比較しても、外登法の指紋押捺制度が不合理な差別に当たるということはできない。

また、我が国に定住している在日韓国朝鮮人についても、他の在留外国人一般と異なる法制上の取扱いをする理由に乏しいこととなるのは前記のとおりであり、現状において、このような外国人に対しても他の在留外国人と同様に指紋押捺義務を認めることが、不合理な差別に当たるというべきではない。

そうしてみると、指紋押捺制度が憲法一四条に違反するものであるということはできず、また、国際人権規約B規約二六条に違反するものとも考えられない。

(三) 指紋押捺制度が憲法一九条に違反するとの主張について検討するに、

指紋押捺制度は、先にみたとおり、在留外国人の居住関係及び身分関係を明確にする外国人登録の正確性を維持するため、登録外国人の特定とその同一人性を確認する手段として採用され、国籍、定住の程度を問わず、我が国に一定期間以上在留する所定年齢の外国人のすべてに対し適用されるもので、その立法目的に関する外登法一条の規定や、各条文の内容をみても、指紋押捺を義務付けることにより在留外国人の思想や良心に干渉することや、在日韓国朝鮮人に同化的帰化を強制することがその立法目的であると解することはできない。

もつとも、日本に定住している在日韓国朝鮮人、とりわけ我が国で出生し日本社会で生活している二世、三世の世代は、一六歳(外登法旧規定では一四歳。)に達したのち、五年ごと(旧規定では三年ごと。)に指紋の押捺を義務付けられることにより、あらためて外国人の地位にあることを実感し、日本国民とは異なる義務を負わされることによる負担感や不条理感を抱くであろうことは十分理解できるところである。ことに過去の我が国の政策の影響で、いまだに日本国内において在日韓国朝鮮人が一部の者から理由のない偏見をもつてみられるという事実があるとすれば、その不条理感は増大するものであり、法律の憲法適合性を考えるに当たつては、このような制度に伴う副次的な作用についても考慮を払う必要があるといわなければならない。そして、取調済みの証拠、ことに第一一回公判調書中の証人金恵美子の供述部分、証人梶原達観の当公判廷における供述、及びその他多数の証拠書類によると、定住している在日韓国朝鮮人の中には、指紋押捺体験を含め、我が国での生活体験を通じて強い被差別感に悩み、不幸にして心身を害した事例があることなどが認められるけれども、同証拠によつても、その主な原因はむしろ、在日韓国朝鮮人に対する理由のない社会的、心理的偏見にあるとみられ、かような偏見については根絶を期さねばならないことはもとよりであるが、指紋押捺制度は、右のような体験の一因をなす場合があるとしても、いまだこれがあることによつて在日韓国朝鮮人の心理的な日本社会への同化傾向が決定付けられるほどの作用を及ぼしているとは認めがたい。このような点を考慮すると、右制度自体が、思想及び良心の自由を保障した憲法一九条に違反するものとはいえないものと考えられる。

(四) 指紋押捺制度が憲法三一条に違反するとの主張について検討するに、

外登法上の指紋押捺制度は、在日韓国朝鮮人を外国人として取扱うもので、指紋押捺義務の違反については、前記の法条により懲役または罰金の刑を定め、間接的にはその押捺を強制していることは弁護人ら主張のとおりである。そして、弁護人らは、我が国と韓国朝鮮との間では、歴史的にいわゆる日韓併合によつて我が国が奪つたものは測り知れず、これらを返すことができない以上、韓国朝鮮が主権を回復している現在においても、韓国朝鮮人がかつて我が国で有していた「外国人扱いされない利益」まで奪うことは正義に反すると論ずるのであるが、我が国と右外国との間に、立法政策上も顧慮すべき歴史的経過があることについては傾聴すべき点があるとしても、右主張の点がひいて指紋押捺制度の憲法三一条違反をきたすとする点は、直ちに首肯し得ないといわざるを得ない。

二被告人の指紋不押捺が正当行為に当たるとの主張について検討するに、

キリスト教の宣教師である被告人が、迷える羊のごとき人に対して魂の配慮をする、いわゆる牧会活動を意図して本件犯行をしたとしても、その目的や手段が法律上結局是認できないものであるときは、その余の点を検討するまでもなく、これを刑法三五条の正当行為に当たるということはできないと考えられるところ、前同証拠によると、被告人が本件指紋押捺を拒否したのは、その制度の違憲性等を明らかにして社会に訴えるためであるというもののようであるけれども、前記のとおり、その前提たる違憲性等自体認めがたいばかりでなく、被告人のいうところの目的を達するには、言論等の合法的手段があり、あえて自ら刑罰法規を犯して指紋押捺を拒否することだけが可能な手段ではないことなどを考えると、被告人の本件行為が刑法上正当行為として罪とならないということはできない。

三以上の次第で、弁護人らの各主張はいずれも理由がなく、これを採用することはできない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加藤光康 裁判官大山隆司 裁判官山田陽三は転補につき署名押印することができない。 裁判長裁判官加藤光康)

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